東京古典会会員コラム:中野書店 中野智之


耳 嚢      

みみふくろ。近ごろは南町奉行・根岸鎮衛も随筆『耳袋』も知る人は多いでしょう。これは二十年以上も昔の話。その頃は今ほど有名ではなかった。ある日の古典会になにげなくこの写本がまわってきました。全十冊らしいうち七冊だけ。不揃いのうえ途中の巻が抜けています。びっしり書き込まれてはいるものの、よく見かけるような江戸後期の写本。なので皆さんも重大視はしていませんでした。むろん当時、駆けだしの私がこの本の価値も何も知るよしもがな。ではあったのですが『耳袋』の名前は頭の隅に。東洋文庫本を流し読みしたこともあり、豪傑の話やら狐狸妖怪の話やらがつまっていて、けっこう面白かった。その記憶があったのでわからないままに入札し、なんとなく落札。つまりたいへん安かったわけですが、その時はこんなものかなと。とりわけ感想もありませんでした。
これを見ていたのが当時ご存命だった反町さん。今度あの本を持ってらっしゃいと仰る。ご入用ならばお譲りしてもちっともかまわないという気持ちで、手持ちの東洋文庫二冊を添えてお宅にお届けしたのですが、その翌週が凄かった。ほぼ一時間、こんこんと『耳袋』の意義と、この写本の価値を解説してもらいました。要約すれば『耳袋』は写本でしか伝わらない根岸鎮衛の聞き書き、覚え書きのような随筆で、元来は根岸家門外不出だったのに内容がめっぽう面白いため、いつともなく世に出まわったらしい。写本自体はよく見かけるものの、それはほとんど最初の一巻、百話分程度にすぎないそうです。それがこのとき私の落札した写本は不揃いながら七冊、七百話も収録されている珍しいものだと。加えるに全巻、つまり十巻千話が整っているものは現存しないらしく、前田家尊経閣にあるのが一番分量が多くてそれも八冊どまりとか。現在活字で読めるのはあちこちに所蔵されている本を合せて十巻千話をそろえたもので、つまりこれは尊経閣本に次ぐくらい貴重であるのだと。うる覚えで恐縮ですが、ひどく昂奮された口調で概ねこのような話をされ、最後に反町さん、ニヤリと笑みをこぼされた。
「いいですか、安く買えたからといって、安く売ってはいけませんよ」。
素直な私は、先輩のご意見には従うのです。次の自家目録に当時の私としては思い切った値段を付して掲載しました。が、それこそあっという間にご注文を頂戴し、さらに取り逃がされた某大学を含む複数のお客様の本気で悔しがること。申し訳なく思いながら、内心ではこんな不揃いの本にこれほどご注文が重なるものかと驚いたことでした。
以来、何度か『耳袋』は扱うのですが、それはみなお話どおり最初の百話分の写本ばかり。あのときの『耳嚢』にまたどこかで出会えないかと密かに思いつつ、今日も古典会の座席にすわっているのです。

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